2014年05月04日

「渡辺千尋の仕事」展

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現在、長崎県美術館では渡辺千尋さんの回顧展「渡辺千尋の仕事」が開催中です。

渡辺千尋さんは幼少期から青年期を長崎で過ごし、その後エングレーヴィングやメゾチントという手法を用いた銅版画を制作してきましたが、残念ながら2009年に急逝されてしまいました。

エングレーヴィングというのは、ビュランという小さい刃物で極細線を1本1本ひたすら彫り続けるという、考えただけで気が遠くなりそうな手法です。

先日タイピントギャラリーさんで渡辺さんのエングレーヴィング作品を間近で見せていただく機会がありましたが、ルーペで拡大してようやく髪の毛ほどの線が見えてくるほどの驚くべき精緻さに息を呑みました。


渡辺さんは多才で、銅版画制作だけでなく、本の装丁などのグラフィックデザインやノンフィクションライターとしても活躍されていました。

以前このブログでも紹介した「トンチンカン人形」の作者、久保田馨さんの再評価に心を砕かれた人でもあり、久保田さんとトンチンカン人形にまつわるドキュメンタリー「ざくろの空」という著作も残しています。

渡辺さんがまだ子供時代に偶然トンチンカン人形と出会い、それに引きつけられるように毎週おみやげ屋さんに通ったエピソードから「ざくろの空」は始まります。

その後アーチストを目指すようになった渡辺さんの作品には、知らぬ間にトンチンカン人形の造形感覚が入り込んでいたそうです。

「ざくろの空」の後半、創作に疲れ精神を病んでいく久保田さんの姿を渡辺さんは鋭い視線で見つめます。

「自虐的自愛的人形創作」と表現されている、アーティストとして向きあわなければならない、自分の中にある心の闇との対峙。

この創作の喜びと表裏一体の苦しみが、読むものを「何もそこまで」と思わせるほど冷徹でリアルに描写されています。

これは著者である渡辺さん自身も、同じ表現者として生命を削って向き合って来たものだったのでしょう。


そんな経緯もあり、今回の回顧展には、久保田さんの作ったトンチンカン人形が数体展示されています。

渡辺さんの作品の中に混在しても何の違和感もないトンチンカン人形ですが、長崎県美術館の立派な建物の中ではやや居心地悪そうに並んでいます。


「渡辺千尋の仕事」展は6/8まで長崎県美術館常設展示室で開催されてます。

ぜひ里帰りした渡辺さんの作品世界を楽しんでみてください。
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2013年12月18日

長崎の音 長崎のサウンドスケープ

皆さんは「長崎の音といえば?」と聞かれたら何と答えますか?


Oura Cathedral for Brog.JPG

- ・港町ならではの波と船の汽笛の音。


- ・数百年の歴史をもつカトリック教会の鐘の音。


- ・市内を走る市民の足、路面電車の音。


- ・長崎を代表する祭り、おくんちのシャギリや蛇踊りの音。


- ・爆竹と鐘で送る、精霊流しの音。


(写真は祈念坂より、後方から見る大浦天主堂)

こういった長崎ならではの個性的な音の数々が、四方を山に囲まれた地形の中で反響し混ざり合ったもの…それが長崎のサウンドスケープ(音の風景)です。

長崎のサウンドスケープを考える上で大変役に立つ資料があります。
1992年に吉岡宣孝氏を塾長とする長崎伝習所/長崎・サウンドデザイン塾によって発行された、「ながさきの風景・音と耳と心/’92市民推薦『ながさき・いい音の風景20選』」というパンフレットです。
身の周りの環境に意識を向け、自分たちの住む街をより深く知ってもらうことを目的に、市民から募った「長崎市内の音名所」から20ヶ所が選定されています。
以下、その20ヶ所を引用してみると・・・


長崎のいい音風景20


身近な暮らしにある広場の音

(1)大きな木のある境内の音 - 山王神社(坂本町)
(2)週末の広場の音 - 市営陸上競技場(松山町)


長崎の音を大切にしたい場所

(3)行き交う船の出入りと鐘の音 - 神の島(聖母の巌・どんく岩)(神の島町)
(4)夕暮れの海岸の音 - 旭町海岸通り(旭町)
(5)フェリーの汽笛の音 - 大波止ターミナル前、汽船発着所(元船町)
(6)夜の街の音が聞こえる丘 - 鍋冠山(出雲町)
(7)海が見える祈りの里 - 大山教会周辺(大山町)
(8)早朝の漁港の賑わう音 - 茂木漁港(茂木町)
(9)静かに明けゆく長崎の音 - 南山手2番地(南山手町)
(10)「ナガサキ」の音が聞こえる展望台 - 風頭山展望台(伊良林町)


自然環境を大切にしたい場所

(11)街の中に残された滝の音 - 鳴滝町、川の合流点(鳴滝町)
(12)蘇る水辺の音 - 小々倉水源地(上戸町)
(13)静かな郊外の街の音 - 醍醐の滝(三川町)
(14)早朝の森の静けさ - 市民の森(茂木町周辺)


都市の中の安らぎの場所

(15)水を活かした庭園の音 - 料亭花月(春雨の音) (丸山町)
(16)騒音の中で見つけた音 - 馬町教会かいわい(馬町)
(17)雨上がりに聞こえる水の音 - 出雲町〜上田町間の坂道(出雲町)


記憶の音の風景

(18)夏の音の風景 - 原爆公園付近(平野町)
(19)記憶の中の電車の音 - 市内を走るチンチン電車(市内全域)
(20)失われた音の風景 - 中島川の桜橋〜八幡橋(カルルス) (新中川町)



いかがですか?
長崎にいる(いた)人なら誰もが知ってる身近な音から、聞いたこともない、あるいは聞いたとしてもそれを意識したことがないような音まで、実に興味深い20選だと思います。
さらにこのパンフレットには各所の写真や推薦者による手書きの地図やコメントが付けられています。

そのいくつかが吉岡さんによる「市民が捉えた記憶の音風景 ’92市民推薦『ながさき・いい音の風景20選』から」と題した論文に掲載されています。(WEBで閲覧可能)
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902187427805080


さらに1991年に同塾が発行した報告書"SOUND CITY DESIGN"もアンケートや実際に現場でサンプリングしたデータに基づいて綿密に科学的分析を行った良書で、現在でも充分に参考になります。(こちらもWEBで閲覧可能です)
長崎・サウンドデザイン塾 吉岡 宣孝 塾長 '91長崎の音報告書

SOUND CITY DESIGN サウンドデザイン塾[1].png


私はこの「いい音の風景」のいくつかを、選定されて21年経った今、訪れてみました。
残念なことに、その一部は様々な要因で変質してしまい、なかには全くその跡を留めないほどに消え去ったものもありました。
ビルが建ったことによる音場の変化、交通量の増加等によるノイズ・・・
音の風景は、目で見る風景よりはるかに脆い存在で、ちょっとした事で崩れてしまうものなのです。
最新型の路面電車車両のように、低騒音型になったためにあの耳慣れた電車独特のモーター音が聞けなくなってしまうというような、歓迎すべきだがやや寂しい事例もあります。

私は、時代とともに刻々と変化するサウンドスケープを体感してみて、サウンド・アーカイブとしての採集(録音)、さらに音が聞ける環境の保全、この2つの意味でサウンドスケープを発見し、保存することの大切さを痛感しています。

『百見は一聞に如かず(?)』
私たちが採集した長崎のサウンドスケープのうちいくつかをModalのウェブサイトで聞けるようにしました。
長崎ならではの音の数々をぜひ実際に聞いてみてください。
長崎の代表的なサウンドスケープ

現在長崎在住、もしくはかつて長崎に住んでいた、あるいは訪れたことのある皆さん、もし大好きな音、忘れられない音があればぜひ私達に教えてください。
できる限りその場所に行き、録音して皆さんにお知らせしたいと思っています。
ModalウェブサイトのContactフォームか当ブログのコメント欄からどうぞ。
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2013年11月06日

『もう一つの平和祈念像』 - トンチンカン人形  (文責:Modal代表 林田)

我がModal、スタートしたばかりで記事になりそうな活動がまだありません。
そこで私が新しい長崎土産を作りたいと思うきっかけとなった、「トンチンカン人形」について書こうと思います。
公式ブログの私的利用ゴメンナサイ。

ところで皆さんトンチンカン人形って御存知ですか?
とりあえず現物の写真をご覧ください。

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これ、大きさが5〜10cmほどの、素焼きに着色した人形です。

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1体1体手作りなので、同じものはありません。

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名前の通りシュールでユーモラス、そしてちょっとグロ可愛くて、でもどことなく悲しげなその姿に惹かれて、出会って以来私の頭の隅っこにはいつもこの人形たちがいるような気がします。

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この人形の作者は久保田 馨さん。
長崎焼に魅せられた久保田さんは、2年間中原仁斎氏の元で陶芸を学んだ後「トンチン館」という名の小さな工房を愛宕山に構え、人形を作りはじめました。1954年のことです。

トンチンカン人形はおみやげ屋に置かれ、30円という驚くべき安価で売られていました。
その評判は長崎を訪れる観光客から口コミで広がっていき、1962年、ブラジルの詩人I.C.ヴィニョーレス氏によって芸術誌に紹介されると、その独創的な造形は全国的に知れ渡っていきました。
当然東京の百貨店での販売や、アメリカへの輸出の話などが持ちこまれますが、久保田さんは全て断り、相変わらずおみやげ屋で子供でも買いやすい価格で売られ続けました。

久保田さんは人形を作る傍ら、俳句を詠んだり、近所の子供たちを集めて「アリの会」という会を作り、遊びや俳句を通して「美を発見し、考え、表現すること」を教えたりもしました。

以下はアリの会の子供たちとの回覧ノート「みんなのかべ」に書かれた一節です。


平和は来るものではない、つかむものだ。
どうしてつかむか!ぼくはトンチンカン人形にきいた。
人形が答えた!
「ドロの手でつかみなさい!」
トンチンカン人形よサンキュー。
平和を信じて人形をつくっていく。
平和を信じて人形に目をいれてく。
戦争をにくんで人形をおどけさせる。
ゲンスイバクつくられているかぎり、人形を作っていく。



久保田さんにとってトンチンカン人形は、1体1体に平和への願いを託した祈念像だったのです。
この言葉の通り、久保田さんは16年間に30万体近くというとんでもない数の人形を制作し、42歳の若さで亡くなりました。

どうして久保田さんは、売ろうと思えば相当な高値で売ることができたであろうトンチンカン人形を、あくまでもおみやげ品として作り続けたのでしょうか。
自分の作る人形が芸術作品とは思っていなかったとも、トンチンカン人形が、自身の精神の暗部を投影したものであるという作者の思いから、有名になることを拒んだとも言われています。
確かにそういう側面もあったのでしょうが、私は(これは個人的な推測ですが)、芸術作品としてケースに収まると伝わらなくなってしまう、おみやげならではの温かい感触にこだわったのでは、と思います。
その温かさから伝わる平和への思いを、久保田さんは何よりも大事にしていたのではないでしょうか。

作者の没後43年を経た現在、「トンチンカン人形を美術品として見直すべき」という声もあるようです。
私としては「芸術性にあふれた土産品」のままでいて欲しいと思う反面、このまま散逸してしまうのなら、子どもたちの遊び相手という役目を終えた人形たちを集めて保存し、多くの人達がいつでも会えるように展示することも必要かとも思います。
なぜなら、久保田さんは亡くなってしまいましたがゲンスイバクはいまだにつくられているのですから。

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現在トンチンカン人形は長崎市歴史民俗資料館に常設展示されています(観覧無料)。
展示スペースがやや狭いのが残念ですが、久保田さんの平和への思いを考えると、原爆資料館に隣接している今の場所はトンチンカン人形の居場所にふさわしいのかもしれません。

さらに今年、トンチンカン人形が全国的に知られるきっかけとなったI.C.ヴィニョーレス氏所有の、保存状態が極めて良いトンチンカン人形57体が長崎市に寄贈されました。
近日中に追加展示される予定だということです。

久保田さんの生涯とトンチンカン人形にまつわる話は、渡辺千尋さんが書いた評伝「ざくろの空 頓珍漢人形伝」(河出書房新社)にとても詳しく載ってます。(このエントリを書く際にも参考にして一部引用させていただきました。)
ご自身も銅版画家である著者の、同じアーティストならではの視点から描かれる、久保田さんの作品を作る喜びと苦悩がリアルに伝わってきます。
残念ながら現在品切中・重版未定ですが、興味を持たれた方は図書館等で探してぜひ読んでみてください。

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渡辺千尋さんは2009年他界されましたが、自身がトンチンカン人形を紹介しているウェブサイトが残っています。
作品写真も豊富です。
トンチンカン人形館 http://www19.big.or.jp/~higashi/page/tontinkan/

このように「知る人ぞ知る」という存在のトンチンカン人形ですが、今でも思いを寄せている人は多く、今年3月には「トンチンカン人形と長崎の画家達展」という展覧会が、長崎市樺島町のタイピントギャラリーで開催されました。
その図録はトンチンカン人形や久保田さんが描いた絵画に加え、彼が師事した中原仁斎氏の作品等も見ることができ、トンチンカン人形が生み出された当時の背景も知ることができます。
さらにポストカードや久保田さんの俳句と人形の写真が表裏にあしらわれた小冊子等もありました。
これらは全てタイピントギャラリーで入手できます。

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トンチンカン人形と長崎の画家達展〜久保田馨とその時代〜図録 \1000(税込)


最後に久保田馨さんの詩をもう一つ。


何とトンチンカンなんでせう
灰におびえる人々も
それを撒きたがる人々も
同じ人間なのは
この最大最悪のトンチンカンから
些細なほほえましいトンチンカンに至まで
私達は毎日
よろこびのかなしみの
その他のお面をいっぺんにかぶり
神と悪魔と
たやすく手をとり
忽(たちま)ち訣(わか)れ
明日へ新しいトンチンカンをこしらえる
それが生きることらしい
何とトンチンカンなんでせう



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